ZENPE監事 竹原 綾子

監事

竹原 綾子

  • 成人した息子が前庭水管拡大症
  • 食空間プロデューサー

profile

国内某航空会社へ入社し、客室乗務員として5年間務め、結婚を機に愛知県に在住し3年後に息子を授かり、その6年後に娘も授かりました。

娘の中学受験と息子の大学受験が終わり、兼ねてから生花 草月流の師範を習得していたので、アーティフィシャルのフラワーアレンジメント教室 『StyleK』を立ち上げました。

そこで出していたランチが好評で、開催2年後にお料理教室も始めることになりました。

現在15年目に入りますが、昨年末息子の子供の誕生もあり、教室運営は少し縮小しています。

今後は、ZENPEの一員とにして、少しでも皆様とコミニケーションを取りながらお役に立てることが出来るよう活動していけたらと思っています。

message

出産は逆子の為帝王切開にて産まれた息子は、哺乳力が弱めで1時間かけてミルクを呑む赤ちゃんでした。そのため出生時の体重は2922gありましたが、7日後の退院時は2600gまで減ってしまいました。その後は体重計をレンタルし、息子の体重を増やすため、母乳とミルクを必死にあげていたように思います。1時間かけたミルクを噴水のように吐くことも多く、育てにくさはありましたが、欲しくてやっと授かった我が子が愛おしく授かってくれた命に感謝と可愛さで毎日が楽しくて仕方がありませんでした。

彼に何ができるか?

やれる事全部してあげたいと思い、育児書、子育て論を幅広く熟読しました。首の座りも遅く反り返りも多かったので、4ヶ月の時は脳性麻痺の疑いがあると言われ、大学病院を受診したこともありました。

まだ何も分からない時から絵本の読み聞かせや手遊びをしていたせいか、1歳2ヶ月ではひらがなを習得し、オムツも取れていたので、知的障害はないと安堵したのを思い出します。それでも、視覚での反応に比べると明らかに聴覚での反応が鈍く、聞こえに不安を感じていました。

そんな中、幼稚園から帰宅した息子が聞こえに全く反応がない為慌てて病院へ行くと、前庭水管拡大症と診断されました。どうやら幼稚園での前転を数回したことが原因だったようです。大きなショックと不安が押し寄せましたが、それと同時に私には何ができるか、彼に何を働きかけられるかにフォーカスして子育てをしていこうと決意しました。

意気込んだものの、この病気に関しての情報があまりにも少なく、当時ホームページビルダーでホームページを立ち上げ、掲示板を貼り付け同じ病気を持つ保護者の方とコミニケーションを試みましたが、今ほどSNSなどが浸透していなかった為思うように情報を収集することは困難でした。

日々彼の聴力がほんの少しの事でも変動を繰り返し低下していく為、もどかしさに苛まれました。その度に私が落ち込む傍ら磊落な息子にどれだけ助けられたかわかりません。
幼い頃からの働きのおかげか、聴力が衰えているからなのか、記憶力に長けていたように思います。

その甲斐あって国公立の医学部に現役で合格してくれた時に私の中で安堵感に包まれ少しだけ肩の荷がおりたと感じました。

この病気はMRIが導入されてからわかったこともあり、圧倒的に情報収集が難しくどのような経過を辿っていくか不安な中、毎日模索しながらの子育てでした。

子育てに一段落はしたものの、現在子育中のご家族の皆さまに少しでもお役に立てたらと言う思いで、Instagramなどで発信を始めたところ、ZENPEの代表、大島美和さんに出逢う事が出来ました。
美和さんの抜群の行動力でNPOの立ち上げのお話を頂き、非力ではありますがこの障害を持ちながらも社会で活躍できる人になれると言う事を皆様に少しでもお伝え出来たらと言う思いで参加させて頂くことになりました。