代表
大島 美和
- 2022年生まれの娘が前庭水管拡大症 右耳:90db 左耳:20db
- 元デザイナーでフリーのカメラマン
profile
幼い頃から物づくりをしながら過ごす。
大学卒業後、設計事務所に従事。若者に人気のファッションブランドの立ち上げから携わるなど、店舗デザインを多数手がける。
デザイナーとして活動する傍ら、独学で写真撮影にも没頭。ミュージシャンの友人からのご縁で、ライブ撮影をはじめる。
設計事務所を退職後、フリーのカメラマンに転身。大手レコード会社のライブ撮影やCDジャケット、ファッション誌の表紙など人物撮影をメインに活動。それと並行してアート活動にも邁進。
2010年海外進出フランスで祈りの手のひらの写真を使用した立体曼荼羅オブジェを展示。
2011年10月パリの現代芸術の中心施設、ポンビドゥー・センターで祈りの手のシリーズ写真を展示し、好評を得るなど各地で個展を精力的に開催。
その後、結婚し出産。
2022年生まれの娘が前庭水管拡大症と診断を受ける。当疾患の情報の少なさから生後半年の頃に患者家族会の設立を決意。
設立に向けた準備を地道に進め、現在に至る。
message
私は高齢出産で初産だったため、大学病院に入院しました。逆子だったことから帝王切開で出産しましたが、生後数日で娘の哺乳力が弱いと診断され、GCU(新生児特定集中治療室)に移されました。コロナ禍のピークで、家族とも面会出来ない中での孤独感と不安に苛まれた日々は、今でも忘れられません。
その後、新生児聴覚スクリーニング検査で片耳難聴が判明。さらに「前庭水管拡大症」という診断が下されました。幸せの絶頂だと想像していた産後が一転して悪い方向へと展開していき、大きな戸惑いを感じました。
初めて耳にする病名に「間違いであってほしい」と何度も願いましたが、次々と押し寄せる現実を前に、心の準備が追いつかず、産後の不安定な精神状態も重なって、人生で最も辛い時期に感じられました。それでも、診断に至る過程や医師の説明を通じて、少しずつ現実を受け止め、前を向いて頑張ろうという気持ちが芽生えました。
当時、周囲に難聴の方がいなかったため、難聴やこの疾患について十分に理解することが難しく、初めての子育てに対して大きな不安を感じていました。
病名で検索を試みても、医師向けの論文ばかりがヒットし、SNSでも情報がほとんど得られない状況でした。私と同じように情報がなくて困っている人が他にもいるだろうと考えるようになり、情報を広く届ける仕組みを作りたいと思い立ち、子供が生後半年の頃に患者家族会の設立を決意しました。
それから多くの方々の支援を受けながら準備を進めました。他の患者家族会の代表やNPOの方々から話を聞き、どうすれば患者家族の皆様にとって有益な会になるかを模索しながら、素人ながらホームページ制作にも取り組みました。
設立を決意してから約2年後、嬉しい出来事が起こりました。国立病院機構東京医療センターの松永達雄先生が代表顧問医師として協力してくださることになったのです。松永先生は、私が疾患について調べていた時に何度もお名前を目にした、尊敬する医師でした。
さらに、北里大学の藤岡正人先生、東邦大学の瀬戸由記子先生も顧問医師をお引き受けくださり、素晴らしい体制が整いました。松永先生の医療監修のもと、患者家族に有益で正確な情報を提供できるよう、さらに努力を続けます。
私たちは「新薬の国内承認」と「指定難病化」を2大目標に掲げ、皆さまの温かい支援と共に少しずつ前進し、疾患の認知度向上と患者家族が支え合える環境づくりに取り組んでいきます。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。